【2019年 春旅】3日目
こんにちは。お久しぶりです。
ずいぶん涼しくなりましたね。
年がら年中これくらいの気温であってほしい今日この頃です。
今年はセミファイナルも食らわず、部屋の前でデケェ蛾とランデヴー(発音注意)することもなく、ドアノブに蜘蛛の巣を掛けられる事もなく、背中にセミがとまってギャン鳴きされることもなく平和な夏でした(去年は全部あった)。
最近あった悲しい出来事は、この前超高級百均ダ〇ソーでタブレットスタンド(税込330円也)を買ってみたところ、開き幅見てなくて肝心のiPadが入らず面白ゴミと化していることです。みなさんも安物買いの銭失いには気を付けましょう。
前置きはこの位にして、3日目になります。
↑前回のあらすじ
3日目(九四連絡船→佐伯<大分県佐伯市>)
朝5時、別府港
おはようございます。今日は2019年3月19日火曜日です。
船員さんの「5時です」という声に叩き起こされ、寝ぼけまなこでフラフラとタラップから下船します。
九州、上陸です。
まばらな客と共にターミナルに吸い込まれますが、いかんせん時刻は5時過ぎ。
はてさてどうしたものか。
ターミナルビルはこれまた昭和な建物ですがとりあえず地図を探してうろつきます。
歩き回る事数秒、見た瞬間に度肝を抜かれる案内板が目に飛び込んできました。
問題の案内板と窓口の遠景です。白黒にして1976年撮影って書いてもバレなさそう。
接写です。ツッコミどころが多すぎる。
一点だけ飛び抜けてヤバい文言が混じってたのでそれだけ解説しましょう。
もうこの際新幹線の顔が初代だったり、10年以上前に散っていった寝台車や急行列車の文言があることは置いておきます。気になるけど。
ヒコーキのマークの文章をご覧ください。
東亜航空...?
※東亜航空(とうあこうくう、英語:Toa Airways、略称:TAW)は、かつて日本国内で定期旅客便を運航していた航空会社である。1953年11月30日設立。
1971年5月15日、日本国内航空と合併した際に合併先を存続企業とし、法人格が消滅した。-wikipediaより引用
東亜航空という名前は1971年、日本国内航空と合併した折に「東亜国内航空(のちの日本エアシステム)」という名前に変わっているため、おそらくこの案内板は1971年以前からここに存在している...?
これはなかなかの歳月を感じさせてくれます。
(もし"東亜国内航空"を指す単語として書かれていたとしても、東亜国内航空は1988年に日本エアシステムになっているので、88年以前から存在していることはまず間違いないでしょう)
1971年(昭和46年)といえば、沖縄返還の調印式や大鵬の引退、成田空港闘争にフルシチョフの逝去、我らが宿敵読売巨人軍はV9の真っ只中、さらには円が変動相場制に移行したりとどえらく昔の出来事のように思えますが、それ以前からこの案内板は行き交う人々を見守ってきたのでしょうか。
寝台車、急行、東亜航空。これが設置されたときは全てが"当たり前の存在"だったのでしょう。
いけないいけない、昭和ヲタク全開になってしまいました。話を戻しましょう。
今日の予定はもうある程度決まっています。
なんせ南下目当ての臼杵ではなくわざわざ北寄りの別府に来たわけですから今日は珍しく観光と洒落込みましょう。
ただ、そうと決めてもただ今の時刻はまだ5時半。どこの店も開いてないしバスも来ない。始発のバスを待とうかと思った矢先、天啓が舞い降りました。
「24時間の風呂とかあったりしない???」
私の心の中の天使がそう囁きました。すぐに携帯を取り出し検索検索。すると...
あった 。マジか。
さすがは温泉の町別府、駅前に24時間の公衆温泉があるではないですか。
というわけで本日も始動していきます。バスの始発は2時間後なので歩いていきましょう。
げ、大雨じゃん...。
別府高等温泉 ~6時半~
別府港から歩くこと30分強、2キロ半くらいでしょうか、別府駅前までやってきました。ただ今の時刻は6時半。天候や時間も相まって人通りは非常にまばらです。
雨は少し弱まりましたが依然として本降り、しかもケッコー寒い。
そんな駅前から徒歩1分、見えてきたのは"駅前高等温泉"。
これまた私好みの建物の立ち寄り湯です。例によって写真を撮っていなかったので別府市のサイトより拝借仕りました。
ガラス戸を開けて中に入ると、高等湯か並湯か選べるが、並湯は7時前まで開かないとのこと。24時間営業なのは高等湯のみのようです。
高等湯の中では更にあつ湯とぬる湯が分かれており、それぞれが同じ浴室内に2つの浴槽が楽しめます。
ちなみに券売機では並湯を「あつ湯」、高等湯を「ぬる湯」と表記しています。
私の文章下手で分かりにくいと思いますのでまとめますとこんな感じ。
ところが、私が来た時点で7時まで30分を切っていたこともあり、もう開けちゃうか、と並湯を開けてくれるご様子。こういう昭和初期~バブル後期くらいの公衆浴場が大好きな私は迷わず熱い並湯に入ることを決意。
ちなみに改築や改装を昭和59年ごろに行っているようですが、建物や浴室そのものは昭和元年頃の創業当初から使われているようです。
つい数週間前まで使っていた高校の学食とほぼ同じ型の券売機から利用券を購入します。200円也。バスタオルは長旅なので当然持ち歩いてはいますが、濡れたバスタオルを12時間以上バックパックの中に詰めておくのも嫌なので50円課金してレンタル。
これにて準備完了、いざ参らん。
浴室は半地下?っぽくなっており、脱衣所から階段を下りていきます。
ああ!配管がむき出しの壁に温泉成分が染みて色のついた床!古めかしくも豪奢なステンドグラス!たまりません!
体を洗って湯舟へ。一番風呂万zあっっっっっっっっつ!!!!!!!
想像の30倍くらい熱く、6分耐久してギブアップ。調べたところ湯温は44~45℃だそうです。ただ泉質はさすが天下の別府温泉、足元からこんこんと湧き出す源泉かけ流しの湯は素晴らしいものがありました。
ちなみにこの高等温泉、予約すれば狭い部屋ではあるものの宿泊もできるそう。下調べを全くしていなかったのでこういう情報やほかの立ち寄り湯の情報も一切無い状態で別府に突入したわけです。なんて勿体無い...。
朝食 ~8時~
そんなこんなで早朝から別府を満喫しているわけですが、やはりこの町で観光するなら地獄は外せません。別府駅前からバスが出ているようなので地獄の開く時間に合わせて乗ることにします。
ですがまだ時間がありますね。おなかもすきました。
とりあえず別府駅に戻り、朝食にします。前にもお話しした通りチェーンはなるべく避けたいところ。
駅の売店で駅弁でも何でもない、"鶏めしおにぎり"なるものがふと目に留まったので購入。コンコースの待合室でこそこそ食します。駅弁を選ばなかったのはこういう場所で食べづらいからという理由もあったり。
中身は鶏の炊き込みご飯にたくあん、梅干しが入った非常にシンプルなもの。
しかしまあこれがとんでもなく旨い。
びっくりして3箱も食べてしまいました。みなさんも大分県に寄ったらぜひ。
地獄! ~8時半~
朝食も終え、路線バスに乗って地獄を目指します。と言っても時間の都合上すべての地獄を見て回れるわけではないのですが。最もメジャーな血の池地獄とすぐ脇にある竜巻地獄だけになりそう。
海地獄と山地獄は離れている上にわりと家族向けの場所ですし、こういう所は今度誰かと行きたいですね。
血の池地獄
バスに揺られること30分、血の池地獄に到着です。
門をくぐって土産物屋を抜け、いよいよ血の池地獄と対面、と行くはずが...。
なんということでしょう。気温が低すぎて湯気が立ちまくっているではありませんか。
辛うじて血の池独特の湯の色を伺うことはできるものの、一面!とは程遠く...。
しょんぼりと足湯に浸かり、早々に退散。気温が上がるのは昼を過ぎてからという予報なので諦めて竜巻地獄へと足を運びましょう。
竜巻地獄
お隣の竜巻地獄へとやってきました。
この見どころは間欠泉。そう、イエローストーンなどにあるアレです。
3~40分に1度程度という間欠泉にしてはかなりの高頻度で噴出するようです。
待つこと20分ほど、突如として轟音と共に湯の柱が立ち上がります。これは大迫力、見応え十分です。湯の噴出が強い時は見物客にまでかかってしまうため、見物の際はひさしのついた階段状のスタンドで眺めることに。イルカショーみたい。
血の池は不完全燃焼に終わったものの、竜巻地獄には満足したのでこれで地獄見学は終了、別府駅へと戻ります。ただバス停の前にまた
こんなのや
こんなのがあったりして1人で興奮していました。
予定再考・別府駅にて ~正午~
別府駅に戻ってきました。バスの時間を見てなかったせいで30分強くらい待たされた模様。まあ上の写真とか撮って遊んでたんですけど。
ここで、先程決まっていると言った行動計画に少々改善の余地が見えてきます。
今日は18きっぷを使わない日、と決めていたのでそれは確定。問題は「今日中にどこまで行くか」。
根本的な事のように思うかもしれませんが、今回の旅行中私は一切これを決めていません。「夜に着いた町に泊まればいいや」のスタンスで動いています。
今日はあまり列車に乗らない予定だったので行き先を既に佐伯に絞ってはいたのですが、別に佐伯じゃなくてもよくない?ということです。
しかし。
昨日愛媛の八幡浜で「臼杵ルートでも結局南下に困る」というお話を少ししましたが、問題はそれです。
論より証拠、とりあえず、携帯している「交通公社 コンパス時刻表 2019年3月号」の当該ページを開いてみましょう。
このページは今晩の目的地となる佐伯から、鹿児島までの時刻が掲載されています。
ここで18きっぷの仕様のおさらいです。18きっぷでは普通列車にしか乗車できません。
さてもう一度、少々見づらいですが上の時刻表を見てみましょう。
大分県の南端、佐伯から宮崎方面へ南下する普通列車は1日3本しかありません。更に、宮崎駅への乗り継ぎ可能駅まで行く列車に至っては1日1本早朝のみという超絶怒涛のクソダイヤ。これには北海道もビックリ。
※超絶怒涛のクソダイヤ・・・理由は単純明快。佐伯~延岡(宮崎県延岡市)の間に人が住んでいないから。
この付近は古くから「宗太郎越え」と呼ばれ交通の難所とされてきた。そのためこの県境には民家がまばらにしかなく普通列車の需要はほとんどない。ただし特急はガンガン走っている。
つまり、乗れる列車が存在しない以上、18きっぷを使わないのなら乗車券と特急券を買って一気に宮崎入りをしても良いわけです。ただ宮崎までとなるとかなり値が張りそうですね。調べてみましょう。
別府→宮崎 乗車券 4070円 自由席特急券 1520円 合計 5600円
あっホンマ...(絶句)。
さすがにこの値段を移動だけに溶かすわけには行きません。
今日は佐伯に投宿し、翌早朝から18きっぷを使い、普通列車で佐伯を発って宮崎方面へ向かうことにしましょう。
(この判断が追々自分の首を絞めることをこの時の私はまだ知りません)
別府→大分 ~13時~
というわけで別府駅にて本日分の乗車券「別府→大分」「大分→佐伯」、特急券「大分→佐伯」を購入。大分駅で降りたかったので切符を分割。一旦大分市を目指します。別府から大分は普通列車で15分ほど。山手線で渋谷から池袋くらいの時間です。大分県の2大都市ではありますがめちゃくちゃ近い。
それでは大分に向かうとしましょう。
別府駅のホームに上がってきました。高架で新しそうに見えますが高架化は1966年。コンコースや駅舎の構造に国鉄や昭和を感じ取ることができます。ちなみにホームはリニューアルでピカピカ。
こちらは駅名標。温泉マークがとってもラブリーであります。
とりあえずこれで3駅先の大分駅に向かいます。
JR九州の車両デザインはどれもぶっ飛んでて面白いですね。
大分駅にて ~13時半~
13時半、大分駅に到着です。駅がデカい。さあ観光第二弾です。街歩きも兼ねて大友氏の旧跡など巡れたらいいかな~という適当な考え。3~4時間くらいは大分市に滞在できそうですね。では歩いていきます。
と、その前に。まだまともな昼食をとっていません。大分出身の知人曰く駅近くの「まる月」というお店が美味しいそうです。お昼の部が終わる前に行ってみましょう。
はいマジ店休マジ逆卍は~萎え萎え。
まあ何も調べてないとこういうことが起こります。諦めて町に出るかあ...。
街歩きとソーリン ~14時~
そんなわけで空きっ腹のままぶらりぶらり。府内城の城址よりも展示物や解説がある施設の方が好みなのでそれっぽい物が無いか調べてみます。すると大友氏の史跡発掘地の隣に何か小さな資料館がある模様。行ってみましょう。
のんびり歩くこと15分ほど、発掘現場が見えてきました。今日は祝日なのでお休みの模様。
地元には宗麟公の大河ドラマ化を願う動きもあるそう。実績やネタの多さで言えば全然いけると思うんです。家臣団も曲者揃いだし。
島津以外の九州の勢力にスポットが当たる事ってあまりないですよね。山内や毛利はピックされてるのに...。
この施設、規模もあってか入館は無料。内部はかなり新しく、展示も最新の技術を駆使していてなかなか楽しいです。一番印象に残ったお話は宗麟の時代に造られた大砲が遥か異国の地、ロシアはサンクトペテルブルクの博物館に保存されていること。経緯もめちゃくちゃ面白いんですが省略。
あまり歴史についてここで話すつもりはないのでこの辺にしておきましょう。南蛮豊後交流館を後にします。
町中をぶらりぶらり。大通りは全体的に道が広くて気持ちが良いですね。朝は寒かったですがこれくらいの時間になると暖かいです。
え?観光はどうしたって?これが観光なんですが...?
見ず知らずの町の空気を吸いながら何でもない道をのんびり歩くのは立派な観光だと思っています。
少なくとも細かく時間区切って観光名所を親の仇のように巡るよりは...。
ま、個人の感想です。
大分→佐伯 ~17時~
大分駅に戻ってきました。時刻は17時。
今日は18きっぷを使わないのでリッチに特急に乗っちゃいます。
17時6分、南宮崎行きの特急にちりん21号に乗車します。始発なので自由席もガラガラですね。それにしても快適!!3日前のムーンライト以来のリクライニングシートです。
佐伯までは特急で1時間強、18時8分の到着予定です。車窓の沈みゆく西日をぼんやりと眺めていると眠くなってきました。少しくらいなら...。
しかし、現実は私に容赦なく牙を剝きました。
現実と言うか蓄積疲労?
は? ~18時20分~
ふと目を覚ますととっぷりと日が暮れているではありませんか。
..........もしかして。
全身の汗腺と言う汗腺から冷汗が滴り、動悸が止まりません。低血糖か?
恐る恐る腕時計に目をやります。行くな、行くな、越えるな。そして...
腕時計くん「18時20分です(迫真)」
絶☆起☆大☆明☆神
悪夢のような現実がそこには待っていました。こういうのを専門用語で寝過ごしといいます。
これはやばい。
列車はおそらく目的地を超え、佐伯→延岡間を走行中。とにもかくにも延岡で降りなければなりません。そもそも特急券も乗車券も佐伯までしか買ってないし。
二度寝したら宮崎です。5600円に腹は代えられません。あっ宿も取っちゃったからキャンセル代も発生するじゃん。
絶起芸と送還。延岡にて。 ~19時10分~
大やらかしに打ちひしがれること数十分、延岡に到着。
明日越える予定だった大分・宮崎の県境をいともあっさり越えてしまいます。
とりあえず改札へ向かい、駅員さんに佐伯までの乗車券・特急券を見せて事情を説明。
話せば話すほど情けない。
「誤乗 延岡」の文字が右上に誇らしげに躍ります。
と、そこに救いの手が。
「特急はもう終わっちゃったけど、普通なら19時半に佐伯に戻る列車があるよ」
とのこと。良かった...。
というわけで延岡の滞在時間は約20分。佐伯に取って返します。
そこでホームに現れたのは、
なんと特急型の車両が普通列車としてお越しになったではありませんか。普通列車ながら車内は先ほどまでの特急のそれ、めちゃくちゃ快適です。
今度は終点(泣)まで行きます。ふて寝してやりましょう。
ちなみにこの列車、始発から2本目にして終電の模様。
佐伯 ~21時前~
およそ18きっぱーと縁のないリクライニングシートに揺られること1時間半、当初の予定より3時間遅れで佐伯駅に着きました。
改札を抜けて外へ。今日の宿はなんとあのルートイン!贅沢しすぎて明日死にそう。
駅横のコンビニで晩飯を調達。ビンボー旅行者にとってコンビニはオアシスですね。
本当は金額的にルートインは避けたかったのですが、佐伯に泊まろうと思ったらここか金水苑というホテルしかなく、後者はなんと予約が取れなかったので泣く泣くルートインへ。
ルートインはどこもそうですが流石の立地。駅から歩くこと2分足らずで着いてしまいます。珍しく個室に泊まっているのでYouTubeなんかを垂れ流しながら食事。
しかしまあよく考えてみればここまでの3泊、座席→桟敷→桟敷というかなりの強行軍で攻めてきましたので布団で寝られるのはとてもありがたいことです。
ほんとは7時半には風呂も終えてバスローブでのんびりしてる予定だったんですが...。
鏡に映るマヌケ面に文句を吐きます。
さて明日の予定ですが、まず乗るのは当然先述した"始発にして終電の普通"。佐伯を6時28分に発車します。
のんびり南下して宮崎で昼飯、夕方前には鹿児島入りできればなあという目論見を抱きつつ布団in。
背中が揺れないだけで人間こんなに安心できるんですね。
今日の移動はこんなところ。観光重視にした分移動距離は控えめです。なぜか宮崎県を往復しているのは目を瞑りましょう。
だいぶ長くなってしまいました。ここまでお付き合いいただきありがとうございます。
明日はいよいよ鹿児島です。それでは。